第4回 でんでんむしのアチコチ散歩
梅は咲いたか桜はまだかいな
香梅園の梅と旧中川土手の河津桜を見にいこう 2020.2.29実施
新型コロナウイルスの影響で、不参加の方も多数いらっしゃいましたが、総勢11名で、亀戸線の小村井駅を11時半に出発しました。
天気予報では、曇りということでしたが、散歩日和の青空で重いコートがじゃまでした。
まず駅から5分位の香取神社に向いました。
香取神社のある土地一帯は小村井と呼ばれ、応永5年(1398)の「葛西御厨(みくりや)注文」によると、葛西38郷の一つに「小村江15町」とあり、この土地の開拓の古さが分かります。
香取神社はこの開拓者の氏神として永万元年(1165)に創建され、以来、村の鎮守として崇められてきたと言われています。
香取神社の東隣り一帯は、かつて江東梅園(小村井梅園)があり、「梅屋敷」とも呼ばれていましたが、明治43年の大洪水により廃園となってしまいました。平成6年、「小村井梅園」にちなみ、境内の一画に造られたのが「香梅園」です。
暖冬のため、咲き始めが早かったのか、満開を過ぎてはいましたが、ピンク、白と可愛い梅の花が見られました。
香取神社の観梅を終え、明治通りを横断し、昼食場所であるキッチンKAMEYAにちょうど12時頃着きました。
キッチンKAMEYAでの昼食を終え、また、出発です。東あずま駅の方に歩いていき、丸八通りを横断して、旧中川に向かって歩いていきます。
途中、大井戸稲荷、北向き地蔵堂、東漸寺、白髭神社と歩いていきました。
大井戸稲荷は、古くから平井街道(香取神社辺りから平井聖天へ向かう道)沿いにあって、こんこんと水が湧き、旅人の喉を潤したと言われているとか。
関東大震災で枯れてしまったようです。
北向き地蔵堂は、かつて中川から多くの水死者が引き上げられ、ここに葬られたようです。その供養のために地元の人が地蔵菩薩を建てたのでしょうか。堂内には、川も近いからか小さな塩地蔵も安置されていました。
東漸寺は、もとは浅草寺末の天台宗の寺院で、金林山明了院と号し、文安元年(1444)に秀尊法印が創建したと伝えられています。また、宝永年間(1704-1710)円挙法印によって中興されました。しかし、明治期に無住の時代があり、古い記録は失われてしまったようです。
宝暦13年(1763)の銘のある庚申塔は左側面に「左やくし道」、右側面に「右市川道」と刻まれている、道標を兼ねたたいへん珍しいものだそうです
白髭神社は、区内にある東向島、東墨田、この立花にある白鬚(髭)神社の一つで、俗に葛西川の白髭神社とよばれています。表参道から本殿横に移された鳥居は安永8年(1779)の在とあり、三囲神社の二基に次ぐ古さのものと言われています。
白髭神社から、旧中川の土手の方に向かいます。
旧中川の土手沿いには、満開は過ぎていましたが河津桜が咲いていました。道路沿いには
染井吉野が植えてあり、つぼみも大分膨らんでいました。染井吉野は、河津桜より本数も多く、植樹されてから10年以上経つので、結構見ごたえがあると思います。旧中川の河川敷も散歩コースになっているので、3月のお花見の頃は散歩にいいと思います。
河津桜を見てから、立花大正民家園に行きました。ここは、新型コロナウイルスの影響で、ちょうど29日から閉鎖となっていました。残念でした。
立花大正民家園は道路から2m位階段で降りたところにあり、改めて、海抜マイナス地帯になっていることがわかりました。
ここから、東あづま駅に向かいながら、各々、平井駅に向かう人、東あづま駅に向かう人と解散になりました。お疲れさまでした。