大倉別邸「藏春閣」講演会 4月20日(土)実施
午後2時より、生涯学習センター4階ドームにて、100名近くの参加者を迎え、講演会が開催されました。
でんでんむしの会より挨拶、講師の紹介があり、続いて、写真家の岩崎氏より、蔵春閣の解体前後に撮った写真をもとに建物の紹介をしてくれました。
次に大成建設の松尾氏からより詳しく蔵春閣の外観、内部の装飾などを説明してもらいました。また、解体作業の映像から、外見では分からない構造などの詳しい説明がありました。
一部紹介します。
一般的に2階建ての家には通し柱があるが、蔵春閣は通し柱はなく、1階部と2階部分の柱は別々になっており、接合部は金具や金属板が多く使われいて、その為関東大震災でもほとんど損害を受けなかったようです。
襖絵は安土桃山時代の遺物と言われています。高さは当時のものは1.7m位で、蔵春閣では2.2mになっています。足りない部分は大倉喜八郎夫人の帯を足したのではないかと言われています。夫人の帯なのかはわかりませんが、足したことは確かなようです。
二階大広間の天井を見上げると、美しい八角形と正方形が並んだ蜀江模様です。
でも、裏側は90度・135度・135度になる格縁(ごうぶち)の接続に、その角度に合うように製作した三つ又のボルトが使われていて、仕口(継ぎ手)が開いたりずれたりしないように水平方向と垂直方向に金属の薄板を差し込むつくりになっているようです。
2階大広間横にある大理石のモザイク廊下です。万葉歌人在原業平の和歌「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」がテーマで、イタリアから特別に取り寄せた大理石です。
書斎天井絵です。中央に文晁筆の金地に墨絵の龍を張りつけてあります。
松尾氏のお話が終わると、質疑・応答・感想タイムです。
◆大倉別邸から、三神社(高木神社・白鬚神社・秋葉神社)のお神輿が集まり、出て行ったのを覚えている。「蔵春閣」と書かれた半纏もあったが、紛失してしまった。
◆蔵春閣で結婚式をあげました。ふすまの模様が船橋の方で見たものと違っているような気がします。
◆新発田市に移築するための費用はどのくらいになるのか?また、移築にあたって心配事はないのか?
費用に関しては、大倉財団の寄贈なので公開しないでしょう。
また、移築にあたっては、雪の心配がありますが、いろいろ対策をとると思います。
等々
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墨田で生まれ、育ったという93歳のおばあちゃん。蔵春閣をご存知ということで、今回参加されました。今でも、浅草まで歩いていくという元気なおばあちゃんでした。
蔵春閣を知っているというご高齢の方や、建造物に興味のある方等、いろいろな方々が、昔を思い出しながら、また建物に驚きながら、いろいろな思いでお話を聞かれたとおもいます。
来年には隅田川沿いにあったような姿とは多少ちがいますが、場所は新発田市に蘇るということで、一度は実際の建物を見てみたいものですね。
4時に講演会は無事終わりました。
皆様ありがとうございました。
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「蔵春閣」のあゆみ
明治13年 向島別邸が完成
明治45年 向島別邸内に「蔵春閣」が完成
昭和34年 千葉県船橋市内の保養施設内に移築
昭和53年 曳家で200m移動し、三井ガーデンホテル付属施設「喜翁閣」に
平成18年 「喜翁閣」閉鎖
平成24年 (公財)大倉文化財団に寄贈され、移築保存を考慮して解体
平成29年 同財団から、移築に係る工事・経費一式を含み新発田市に寄贈
平成30年 「蔵春閣の移築及び利活用に関する検討委員会」設立。
移築先や利活用に関する提言書が提出される
平成31年 検討委員会や市議会での審議を経て、移築先を「東公園」に決定
大倉喜八郎
新潟県新発田市出身で明治・大正期に活躍した実業家です。大倉財閥を一代で築きあげ、さまざまな近代産業の育成や企業の設立に関わっています。
下記は大倉喜八郎が興した主な企業や学校です。
◎大倉土木組(現 大成建設(株))
◎札幌麦酒会社(現 サッポロビール(株))
◎東京ホテル (現 (株)帝国ホテル)
◎日清豆粕製造 (現 日清オイリオグループ)
◎大倉商業学校 (現 東京経済大学)
写真はすべて講師岩崎和雄氏の写真をお借りしました。